デンマークでポスドク、大学発ベンチャーで研究員をした後、ひょんなことから大学の助教となった一博士号取得者が日々感じたこと、たまにサイエンス(主に化学)についてつづります。


by Y-Iijima_PhD
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仙台、石巻訪問

先週末に仙台の被災した親戚を尋ねてきました。妹が先日結婚したのですが、さすがに経済的にもまだ厳しいので披露宴に呼ぶ代わりにこちらから出向くことにしたのでした。自分も昨年結婚しましたが式も挙げてないし、しばらくあっていなかったので妻の紹介もかねての来仙となりました。

家族6人と言うことで実家の車で出発。途中で休憩を取りながらですが7時間ぐらいかかりました。さすがに郡山を越えると道のがたつきがひどく、まだまだ完全には復旧していないんだなと言う印象を受けました。到着したのは夕方なので一休みしてから親戚と集まる料理屋へと向かいました。

親戚と会うのは5,6年ぶりです。従姉妹は3姉妹ですでに全員子供がいます。しかし、しばらくあっていなかったのでどの子が誰の子供だか分からないと言う状態でした。従姉妹は全員実家を離れていますが、その実家が今回の津波でさらわれてしまいました。おじさんからは知り合いが何人も亡くなったとか、いろいろと生々しい話を聞きました。従姉妹の一人はちょうどそのとき実家にいて、迫り来る波から辛くも逃げ切ったとのことでした。さすがに最近はそのときのことを思い出すのか、体調が優れないそうです。

次の日は、彼らの実家があった石巻市雄勝町へ向かいました。途中の道はところどころ崩れていたりして地震の爪あとが見られました。しかし、道中に見える町の風景は特に変わったところは無いように見えます。石巻も市街地はいたって普通の感じがします。そのまま北上川まで出て、堤防を海の方角へ走っていきます。途中の公園には仮設住宅が立っていて、いよいよ本当に被災地といった感じのするところまで来ました。

堤防の上の道をしばらく走っていくと広大な空き地が広がっていました。

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この辺を通るのは15年ぶりですが、確か家があったはず。そうすべて津波で破壊され、今は瓦礫も撤去され更地になっているのです。こんな感じでかつては家があったはずのところが延々と続きます。瓦礫もないのでもともとどんなところだったのか全く想像もつきませんが、被害の大きさはうかがい知ることが出来ます。しばらく進むと雄勝町へ向かう山道へと分かれる交差点にやってきました。この交差点の少し先にあるのが何十人もの生徒が犠牲になった大川小学校です。すぐ裏は山になっているのですが皆この堤防のところに非難していたため波にさらわれてしまいました。

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こんな川からほんの少ししか離れていないところに避難したようです。しかし、津波は堤防を乗り越えてきたため多くの命が失われる結果となりました。

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そのすぐ脇では看板がなぎ倒され、護岸ブロックも崩れています。

ここから雄勝町までは山を登り、トンネルを抜けていきます。山道はかなりがたがたになっており、ところどころ崩落していたりしてまだ十分直されてはいませんでした。トンネルを抜けしばらく下ると雄勝湾が見え、町も見えてくるはずですが、いまではほとんど何もない更地しか見えません。一番山に近い比較的標高の高いエリアでさえも完全に波に飲まれてしまったようです。海抜2,30mはあるところの橋でさえ津波が乗り越えていった跡がありました。

実際に町に入ると様子は一変していました。まあ15年前だからはっきりと覚えているわけではないけど、商店街なんかがあったはずの場所は完全にただの空き地になっていました。

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残っているのは鉄筋コンクリートの建物がいくつかだけ。もちろんこれらも完全に水没したので中は何もなくなっています。完全に廃墟と化しています。そして周りには大量の瓦礫が集められていくつも山が出来ていました。有名になったバスが乗っかった公民館は3月10日にバスが撤去され、普通の廃墟になっていました。残しておこうと言う話もあったようですが、従姉妹のように見るたびに恐怖と悲しみを思い出してしまう人がいるため撤去されることになったようです。

しばらく海沿いに進むと見えてきた病院も完全に廃墟になっていました。

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そして町の中心部から2,3km行ったところの親戚の家、母の実家でもあった家があったはずの場所へやってきました。

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もう完全に何もなくなっていました。古いけど結構大きな家がここにはあったはずです。残っているのは大きな庭石ぐらい。隣にある家は流されずに残っていますが、よく見ると2階の天井までダメージを受けていてとても住める状態ではありません。このエリアは後ろの山の中腹に見えるブルーシートのところまで水が来たそうで20mぐらいにはなったと思います。そうなると2階建ての家は完全に水没してしまいます。何かむなしさを感じました。

戻る途中でよった雄勝町の町役場も完全に機能を失っていました。

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見る限りまともに住める家は数えるほどしかなさそうだし、実際ほとんど更地になっていて家を建て直すこともないので人口は激減しています。細々と漁業を再会している人もいましたが、復興とは程遠い状況にあり、その目途なんか立つはずもないというのが現状でしょう。

帰りはさらに石巻の海沿いを通ってみました。市街地は郊外型の店が多く立ち並び特に何事もなかったかのようです。しかし、そこから少し海側に進むと景色は一変します。雄勝に比べ平らで住宅も多く立ち並んでいたいはずのいったいが完全に廃墟と化していました。

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缶詰会社のオブジェも横倒しになっており津波の威力が伺えます。

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そして日和大橋をこえるとこの地域の被害の甚大さが伺える巨大な瓦礫の山が見えてきました。

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流されて使えなくなった車も山積みになっています。

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その先には震災後、火災になり無残な姿になった門脇小学校が見えてきました。

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まるで戦争の跡を見ているかのようです。広大な空き地を見ていると昔行ったアウシュビッツが思い出されます。

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アウシュビッツ2とよばれるビルケナウは今ではほとんど何も残っていないところですが、そこでは何百万とも言われる人が殺害されました。それとはもちろん事情も違うし、こちらは自然災害によるものですが、どちらもただ空き地を見ているだけで、ここで多くの命が失われ、住む家をなくした人たちがいるというのが感じられます。瓦礫が散乱しいる状況もすさまじいものがありますが、すべてなくなってしまった後でもそういうむなしさを感じさせる場面でした。

テレビやなんかで津波が町を破壊していく映像は嫌と言うほど見ましたが、実際に現地へ行って自分の目で見て、被害にあった人の話しをじかに聞いてみると衝撃映像とか言うレベルのものではない、現実でしかも現在進行形のものであるというのが実感できました。
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by Y-Iijima_PhD | 2012-03-22 01:12 | 旅行