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デンマークでポスドク、大学発ベンチャーで研究員をした後、ひょんなことから大学の助教となった一博士号取得者が日々感じたこと、たまにサイエンス(主に化学)についてつづります。


by Y-Iijima_PhD
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史上最大の作戦

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(+)-Discodermolideはカリブ海の海綿から単離された化合物で、抗がん作用があることが知られています。その作用機構は現在でも有力な抗がん剤であるTaxol(Paclitaxel)と同じで微小管を安定化し細胞分裂を妨げるというものです。活性も高く、Taxolに耐性を持ったがん細胞にも有効と将来有望な化合物です。しかし、大きな問題はその供給にあります。海綿は0.002%(7 mg/434 g)しかこの物質を持っていないようです。そのため薬として流通させるにも必要量を海綿からとってくるのは不可能です(海綿が絶滅します)。さらにこの化合物は光で分解するそうなので33m以上深い海で育てないといけないということで養殖も難しそうです。発酵によって作る方法も頓挫したとのこと。しかし、この将来有望な化合物を試験しないでおくのはもったいないということで最後の手段として完全化学合成による供給が試みられました。

ただ見てのとおり結構複雑な化合物ですから、その合成も容易ではありません。それでもいくつかのグループが合成に成功しており、その中ですでにある程度の量を作ることに成功したグループの合成ルートを元にメガファーマの一つNovartisが化学合成による供給を試みました。実に39ステップと普通に作るにも結構つらい合成ですが、実際に合成できた化合物はなんと60g!

これを見たとき目が点になりました。mgの間違いじゃないですか。60mgでもこれぐらい複雑な化合物で合成できたら相当すごいのですが、桁が違いすぎます。この合成にかかった期間は20ヶ月、駆り出された化学者は延べ43人。メガファーマだからこそなせる業です。最初の原料は67kgと桁違い。しかも基本的には実験室レベルでの合成スキームなので工業的な大量合成には必ずしも向いていない反応がたくさんありますが、多少の改良程度でほとんどはそのままスケールアップしているようです。詳細はこちらで見ることができます。

一般的に大体の反応では副生成物、過剰な試薬、反応後の試薬カスなどを分離する必要があります。この工程はシリカゲルカラムクロマトグラフィーによって行われることがほとんどです。実際、化学合成の大半の時間はこのカラム精製に費やしているような気がします。どんな作業か気になる方はこちらのビデオをご覧ください(結構長い上に英語ですが)。実際にやるのはこのビデオを見るより面倒です。

今回の合成は精製作業が少なくて済むように大分練られた合成ルートですがそれでも17回のカラム精製をしているそうです。でも、60gカラム精製するだけでも萎えるのに、kg単位でやるなんて正気の沙汰とは思えません。いったいどんな巨大なカラムを使ってどれだけ大量の溶媒を必要とするのか想像もつきません。ちなみに60gぐらいだとカラムは直径20cm程のもので通称バズーカと呼ばれています。さらにでかいとキャノンかな。でもkg単位だと直径の単位もmになりそうです。溶媒も60gの精製で少なくとも数Lは必要ですから...

これだけ多工程を要する複雑な化合物を合成した例としては過去最大規模のものです。自分はプロセスにも興味はありますが、さすがにこれはやりたくないです。
by Y-Iijima_PhD | 2008-04-16 07:25 | 化学